~目覚めたら赤ちゃんだった件!笑~

文責 ありのまーさ(プロフィールはこちら

~目覚めたら赤ちゃんだった件!笑~

なんと、Ryoko先生には生後半年からの記憶がハッキリとあると言います。

突然、眠りから目覚めたように意識が戻ったら、自分が赤ちゃんになっていたそうなのです!笑

その時、両親が激しく口論している最中だったようで、「私は大変な世界に来てしまった」と考えるも、それを声に出そうとしても「おぎゃー」としか言葉にならず…。

なぜ、こんな世界に来てしまったのか?

この世界に来た大切な目的を忘れてしまったので、それを早く思い出さなければ…と焦る生後半年の赤ちゃんだったと言います(笑)。

3歳で漢字も読めたので、とにかく本を読み漁り、忘れてきたことを思い出したくて、その答えを探しまくっていたそう。

5歳になると、休日は「なぜこの世界に生まれてきたのか?」「生命とはなに?」など、ずっと気になっていることを誰か知っている人がいるかもしれないと思い、お坊さんや牧師さんや学者さんなど、色んな人のところへ会いに行くようになったと言います。

彼女には女優の才能もあったようで、不審がられないようにわざと子供っぽさを演じながら質問していたそう(笑)。

しかし、誰に聞いても答えられなかったから、大人に聞いてもしょうがないと悟り、仏教、キリスト教、イスラム教などの宗教書や古今東西の哲学書やスピリチュアル系の書籍をを読み漁ったそう…。

なんと、カントやニーチェも読んでいて、「私の言いたいことがシンプルに書いてあって分かりやすかった」と言うのです(笑)。

まさに神童です!

と同時に「人間存在とは何?」との興味関心から、人間観察と分析を念入りにするようになったと言います。

「人を助けたい」「人を喜ばせたい」「自分には人を助けて幸せにするスピリチュアルなチカラがある」という謎の自覚もあり、手当たり次第、会う人会う人に親切をしていたとも言うのです…(繰り返しますが、この時、Ryoko先生はまだ5歳です 笑)。

~出口王仁三郎は密かに予言を訂正していた~

拙著「神さまの成功法則~宇宙最速の願望実現メソッド~」では、「霊界物語」(十三巻信天翁三)という本の中で、出口王仁三郎は「美濃か尾張の国から本物の救世主である変性女子(肉体は男性だが心は女性)が現れる」と予言していると書きました。

しかし、床次竹二郎の弟にあてた遺書で、王仁三郎は「変性女子」を「まことの女」に書き換えていたことが分かったのです!

以下、該当部分を引用します。

いま大本にあらはれた変性女子(王仁三郎のこと)はニセモノだ。まことの女子が現はれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立直し、根本改造せなくては、誠の道はいつまでも、開く由なしさればとて、それに優りし候補者を、物色しても見あたらぬ。時節を待っていたならば、いづれ現はれ来たるだろ。

美濃か尾張の国の中、まことの女が知れたなら(ありの注 元の文章では「変性女子が分かりたら」と書かれています)、モウ大本は駄目だらう。前途を見こして尻からげ、一足お先に参りませう。皆さまあとからゆつくりと、目がさめたら出てきなよ。盲目千人その中の、一人の目明きが気をつける。

(引用はここまで)

つまり、最初は救世主が男(変性女子)だと思っていたのに、後になって女だったということに気がついて、訂正したとしか考えられないのです。

そして、b王仁三郎が予言した女性が出現するサインが、令和元年の年末から始まったコロナ騒ぎでした(王仁三郎は「567」と書いて「ミロク」と読ませましたが、「567」は「コロナ」とも読めます。「567」は、まことの女の出現時期を教えるスピリチュアル暗号でもあったのです)

では、王仁三郎が美濃か尾張の国の中に現れると予言した本物の救世主とはいったい誰のことなのでしょうか…?

実は、この「美濃か尾張の国の中に現れるまことの女」には、数多くの意味が秘められていて、彼女が出現する時期が来なければ、解けないようになっています(その時期が来て現れる秘密を解くカギがあるからです。その時期が来ないと一人の目利きも現れないのです 笑)。

以下、思いつくままに書き出してみますが、どの本にも書いてない内容だと思います。

〇身の終わりの頃に現れる女性。今回のコロナ騒ぎがその始まりのサイン。

〇身の終わりの肉体を持つ女性。「(みそ)ぎ」=「身削(みそ)ぎ」を終えた肉体を持つ女性という意味です(詳細は後述します)。

〇美濃と言えば、斎藤道三、明智光秀が有名です。

〇尾張と言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が有名です。

〇国(の)中(仲)と言えば、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」でヒロイン役を演じてブレイクした女優、国仲涼子!笑 

「ちゅらさん」とは、美しいさま、立派なさまを意味する沖縄の方言です(つまり、まことの女は立派で美しいのです)。

ちなみに、国仲涼子は1979年6月9日生まれ(まことの女の年齢も彼女と近いことになります)。

〇「まこと」=「誠」で、誠とは言葉と心と行いが一致すること。「徳」という字は十四の心と書きますが、以下の十四の心を言葉と行いで実践することが、「誠」であり「徳」なのです(「徳」の行人偏は実践するという意味)。

つまり、まことの女は以下の「徳」を兼ね備えているのです。

1親切な心、2感謝の心、3愛する心、4喜ぶ心、5尊ぶ心、6反省の心、7与える心、

8公平な心、9思いやりの心、10素直な心、11認める心、12謙虚な心、13許す心、14幸福を祈る心

〇「まこと」=「真言(まこと)」で、真言は言霊を意味しますから、「まことの女」とは「言霊力を持った女性」であることも暗示しています。

つまり、その人の発した言葉は必ず現実化するのです。

明治天皇の「天地も 動かすばかり 言の葉の 誠の道を 極めてしがな」という御製がありますが、天地を動かすほどの言霊力を発揮するには、前述の「誠(=徳)」の実践が絶対条件です(以降、「誠」=「徳」という前提で、お話を進めていきます)。

そして、あらゆる道の最高神と言われる「道主貴(みちぬしのむち)」こと「宗像大神(宗像三女神)」こそ、誠の道を歩む者を守り導く神なのです(剣や書や茶を極めていくプロセスを道にたとえて、剣道、書道、茶道と言いますが、あらゆる道の根底に誠の道はあります)。

つまり、まことの女は宗像大神の強い加護と導きを受けていることを意味します。

ちなみに、カタカムナ研究家の吉野信子さんは、言霊の神を祀るカタカムナ神社とは宗像大社のことだと主張されています。

https://www.youtube.com/watch?v=snnsVh2gNCM&t=1s

そして、これらの情報すべてが、まことの女を表すキーワードになっていて、彼女の名前も出生地も年齢も、この中にすべて秘められているのです…。

以上のことを頭の片隅に入れて頂いて、小学生時代のRyoko先生の話へと戻りたいと思います。

~小学生時代にファンクラブ結成!笑~

小学生になって人間観察と分析、コミュニケーションの場数が増えるにつれ、人から悩み事や相談がたくさん持ち込まれるようになったそう。

常に、委員長とかリーダーとか生徒会などのまとめ役を、周りのみんなから頼まれて任され、とうとうクラスの垣根を超えてトラブルの相談が持ち込まれるようになったと言います。放課後はその仲裁、双方の意見や認識した事実の相違をすり合わせて和解に持ち込むことに、Ryoko先生の時間のほとんどを費やすことになったと…。

さて、秀吉が信長の草履取りだった頃のエピソードからも分かるように、とにかく彼は「信長を喜ばせたい」と思っていました。そうして主君からの頼まれごとが増えていって、どんどん彼は出世していったのです。

それだけではありません。

秀吉のすごいところは、その人間観察と分析の積み重ねで培った深い人間理解力にあるのです。信長の古くからの重臣の中には(特に二大双璧の柴田勝家と丹羽長秀)、急に頭角を現してきた秀吉を快く思わない人も多かったでしょう。

しかし、深い人間理解力と洞察力を持った彼は、木下から羽柴に改名する際、「尊敬する柴田勝家様の柴と丹羽長秀様の羽の一文字ずつ頂戴し、羽柴とさせて頂きたいと思います」と言ったのです。こう言われては、さすがの柴田勝家も丹羽長秀も悪い気はしないでしょう(笑)。

Ryoko先生にもこの要素がしっかりとあるのです(5歳の頃からその能力を鍛え続けてきたのですから…)。

そして、秀吉の登場によって戦国時代という暗い時代が一気に明るくなったように、Ryoko先生に会うと誰もが一気に明るくなる…。そんな秀吉が持っていた太陽のような輝きまで、彼女は持っているのです。

その証拠に、男女問わず、親しさに関わらず、非常によくモテるようにもなったそうで、なんと、彼女のファンクラブまで結成されたと言うではないですか!笑

さて、小学生の頃は、トラブルの相談が持ち込まれるたび、和解に持ち込むことができたのに、中学生になって一人一人の自我の芽生えが起こると同時に、ケンカも増えて、仲裁がとても難しくなったそう。

そこでRyoko先生は「自分が一番強くなることで、争いのない平和な中学校にしよう」と思ったと言うのです。

まさに、信長の「天下布武(武力を持って天下統一し戦乱のない平和な世の中を作る)」と同じアイデアです!笑

それだけではありません。

なんと、彼女自身も信長が光秀の謀反に遭ったように、信頼していた側近の謀反に遭ってしまったと言うのです。

しかし、彼女がこれまで助けた人たちは誰も助けてくれなかったと…。

その時、Ryoko先生は悟ります。

「でも彼らを責めることはできない。多くの人たちは報復を恐れて正義を貫けない。人間というものはかくも弱い存在だ。みんながみんな、私のように強くない」と…。

ならば、「私が全部引き受けましょう、どんなひどい仕打ちをされても、菩薩の微笑みですべて返しましょう」と思ったと言うのです(法華経にはお釈迦さんの前世だという常不軽菩薩の話が出てきます。人々に罵られても石を投げつけられても「あなたは仏になる人です」と礼拝し続けた常不軽菩薩とまったく同じ修行を彼女はしてきたのです)。

滝行中の先生。頭頂にオーブが!

「こんな菩薩修行をして、徳を高めていったい何の意味がある?と」いう疑問も同時にあったそうですが、18歳になったら死ぬつもりで、とにかくそれまでは菩薩修行を続けようと決意したと言います。

徳を積むことの大切さにも気づいていたので、とにかく人の喜ぶことをしようと。そして、人の嫌がることや避けることを、人目につかないよう陰ながらやることで、もっと運が良くなっていく実感があり、率先してやるようになったそう…。

そして、Ryoko先生が18歳になって、そろそろ死のうかと考えていたとき、突然、図書館で取ってもいない本が目の前に落ちてきたと言います(自分が問い続けていた答えを見落としていたらいけないと思い、図書館にはヒマがあれば通っていたそうです。彼女の問いは命がけだったのです)。

ページが開かれた状態で落ちきた本には「人生に問いを投げかけるのは間違っている。人生が問いをあなたに投げかけているのであり、あなたが人生でその答えを出すのだ」と書かれていたそうです。

さらに「勝ちを見込めないからと言って自殺をするのはチェス盤をひっくり返すようなものだ。あなたに望まれているのは勝つことではなく、どの局面でも最善の一手を打つことだけだ」と…。

その本は「それでも人生にイエスという」という本でした。

Ryoko先生は涙があふれて止まらなかったと言います…。

その後、彼女は大学を卒業し、大手法律事務所に就職します。

そこでの活躍も目覚ましく、弱者救済と社会正義の実現とキャッシュを稼ぎまくるという三本柱で、類い稀なるリーダーシップを発揮し、前代未聞のビジネスモデルを次々と創って大成功を収めたそう(Ryoko先生には油売りから戦国大名にのし上がった道三や、楽市・楽座の経済政策を行った信長のような先見的なビジネスの才覚とリーダーシップを兼ね備えているのです)。

オマケに、ヤクザや怒鳴り散らかす系の人達も、ことごとく撃退していたので、「核兵器」というあだ名まで付けられたと…(笑)。

そんなある日、誰も会社にいない時に電話が鳴っていたそうで、たまたま帰社したRyoko先生がその電話を取ったそう。

すると、その電話の相手は「君の声がすごく素敵だから今すぐ会いに行く。5分だけしゃべりたいから待っていてくれ」と言われ、本当にその人はすぐ会社に飛んで来たそうです(たしかに、今すぐ会いに行きたくなるほど、Ryoko先生は妙なる言霊の持ち主なのです 笑)。

そして、「君はスゴい力を持っている。だから君は必ず成功する。ただし、飛び込みやテレアポのような君の品格を下げる営業はいけない。お客さんの方から喜んで契約をお願いしに来るような営業スタイルでいきなさい。」と言い残し、帰っていったそう…。

そのアドバイスをどう実行すべきか…と、考え尽くしたRyoko先生は、「自分の運を上げれば、全てうまくいく!」と思いつき、九星気学や易経や風水の勉強を始めたそうです(ちなみに、日本の歴史上、風水を最も上手に活用した人物が徳川家康です。このおかげで、江戸時代は260年も平和を維持し、江戸は世界一大規模な都市にまで発展したのです)。

その後、スカウトされて転職した外資系大手企業でもRyoko先生は八面六臂の大活躍で、全世界のプロフェッショナルのうちトップ0.02%しか該当できない国際基準の最高成果を継続して出し続けて、日本国内でも全国1位の実績(繰り返しますが、運だけの営業スタイルでこの成績です 笑)など、数々の輝かしい成果を上げ続けています(そんな彼女の年収も輝かしいばかりです 笑)。

このようにRyoko先生が現実社会でも素晴らしい成果を収め続けていることこそ、彼女が素晴らしい「誠」の持ち主であることの何よりの証拠であり、これまで彼女が積み重ねてきた「徳」がどれほど絶大なものになっているかの何よりの証拠なのです。

なぜなら、「徳」は現実社会で成功するためのスピリチュアルな鉄則でもあるからです。

どういうことかと言いますと…

「徳」=「思い(言葉)を現実化するエネルギー」なのです。

先生撮影 弁天島

思ったことがすぐ叶う人と、思ったことがなかなか叶わない人の差はコレです!

徳エネルギーについて、気功では、「精(下丹田)」、「気(中丹田)」、「神(上丹田)」の三つに分類しています。

「精」とは肉体的エネルギー、「気」とは心的エネルギー、「神」とは知的エネルギーのことですが、願いを叶えるためには、体力、精神力、知力の三つは必要不可欠です。

徳エネルギーを補給する方法は二つあります。

1 気功や坐禅では、体をゆるめて自分の中心と地球の中心をつなげることで、常時、徳エネルギーを補給できる身体を確立します(合気道や太極拳などの不思議な力の秘密は、この地球のエネルギーを手足にムチのように伝えているのです)。すると、地球からこの三つの丹田にエネルギーがチャージされ続けるようになるので、頭脳明晰になる(上丹田)&人情の機微を深く解することが出来るようになって人間関係が円満になる(中丹田)&体力満々になる(下丹田)から、思ったことが何でもすぐ実現できるようになるのです。

2 他人に施しを与えることでも徳エネルギーは与えられます(知的な施しをすれば知的な徳が、精神的な施しをすれば精神的な徳が、肉体的な施しをすれば肉体的な徳が与えられます)。そうやって徳エネルギーを補給することを、積徳と言いますが、積徳によって運命を大改善した人に、袁了凡(えんりょうぼん)という有名な人がいます(彼についての詳細は、

『袁了凡 』
袁了凡   なぜあなたは何をやっても運が悪いのか? 「絶対開運! 」 運命を超える徳の法則 1,620円 Amazon   『袁了…
をご覧ください)。

そして、Ryoko先生はその莫大な「徳」エネルギーを、自分以外の誰かの幸せのために役立てようというスピリチュアルな使命を持って生まれてきたからこそ、5歳の時から「自分には人を助けて幸せにするスピリチュアルなチカラがある」という謎の自覚が彼女にはあったのだと思います。

今のRyoko先生も「愛、豊かさ、美しさ、楽しさ、自由、慈善は私の人生のテーマそのもの。それが足りない、もしくは不足して困っていそうだとお見受けする方には差し上げたくなります。縁ある全ての方々に生きる力を与えて、各人の描く夢の具現化速度を早くして、民ひいては国を豊かに幸せに賑わせたい。豊かで平和な世を創りたい」と、常に皆さんの幸せを願われているのです。

つくづく、このことはスゴすぎることだと思っています…。

たとえ、徳」エネルギーが足りなくて開運しにくい人でも、Ryoko先生に会うと、彼女が自身の「徳」エネルギーを使ってその人の代わりに幸せを願ってくれるから、その人にとっての最短最速で開運することが可能となるからです(「与えたものは与えられる」という法則がありますから、Ryoko先生にはさらなる徳エネルギーが与えられることになります。そのうち、彼女が「世界よ、平和になれ」と言ったら、その言霊をたちまち現実化させてしまうほどの徳エネルギーの持ち主になる…。そんな予感をヒシヒシと感じるのです)。

もっと面白いエピソードはまだまだあります!笑

人間離れした異次元レベルのイメージ力~

なんと、Ryoko先生は髪の毛一本一本まで写真のようにイメージできると…。

さらに、そのイメージが真夏の海に関するものならば、潮風が肌に触れる感覚や、真夏の太陽のジリジリする熱感や、日差しのまぶしさや磯の香り、そこで冷えたビールを飲んでいるならば、喉越しの冷たさや心地よい苦みなど、そのイメージは現実とまったく変わらないリアルな感覚を兼ね備えていると言うのです。

これこそ、Ryoko先生の異次元レベルな願望実現力の秘密なのでしょう(「言霊カウンセリング」では、お客さんのお話を聴きながら、この神すぎるイメージ力でRyoko先生がお客さんの代わりに理想の未来を創造する…。だからお客さんの願いも鮮やかに叶うのです)。

そのため、Ryoko先生は現実と夢の違いが見分けにくいと言います。

思考実現化のスピードの違いで、夢か現実かを見分けることができると…。

たとえば、夢の中で急に部屋が真っ暗になって「お化けが出るかも」と思った瞬間、お化けが出現しまうそうです。そのお化けが出てきても「怖い」と思うと、その思いがスグ実現化してもっと怖いお化けに進化してしまうので(笑)、お化けが出ても「かわいらしいわね。なかなか手の込んだ演出ね」とか、マイナス現象に左右されないタフな精神力と(はがね)のプラス思考を今日まで培ってきたと言うのです。

さらに、幼小の頃から悪夢を何千回も見てきたと。

これもRyoko先生にとって重要な霊的修行だったようで、ある時、「世界を終わらせるには自分を消すしかない。つまり、自分が死ねばいいんだ」と気づき、夢の中では何千回も様々なやり方で自死してきたそうです。だから彼女は死ぬことが全く怖くないと…。

そして、映画「鬼滅の刃~無限列車編~」を観た時、悪夢から抜け出せない炭治郎がとった行動もRyoko先生と同じ、夢の中で死ぬことだったことに驚いたそうです。

まさに、彼女は身の終わりの肉体((みそ)ぎを終えた肉体)を持った女性なのです。

ちょっと小難しい話になりますが、(みそ)ぎ(=身削(みそ)ぎ)」とは、肉体を大切に思う気持ち、すなわち、仏教でいう「身見(肉体が自分だという思考)」を捨てることです(滝行も同じで我が身を可愛がる気持ちを断ち切っているのです。お宮参りや七五三などで神主さんの祝詞(のりと)を聞いたことがあると思いますが、その中に「(みそ)ぎ」「(はら)ひ」という言葉は出てきます。イザナギが「禊」「祓ひ」した時に、アマテラス、ツキヨミ、スサノヲの三貴神は誕生しましたね)。

そういえば、鈴木正三という戦国時代末期の元武士だった禅僧がいます(彼も尾張の国の人です)。元武士ですから、いくつもの生死をかけた戦場をくぐりぬけてきた異端の禅僧なのです。

その正三は「死に習う」ということを言いました。

我が身が可愛いから、お金や衣食住の心配や人間関係の悩みなど、あらゆる世の中の葛藤、苦しみが出てくるのです。「死に習う」というのは、死ということを絶えず念頭において、仁王さんやお不動さんのような気合いで、その執着を断ち切れということなのです。

そして、Ryoko先生も現実と変わらないリアルな夢の中で、何千回も死に習ってきたのです(彼女がヤクザや怒鳴り散らかす系の人達をことごとく撃退したのも当然です 笑)。

これは、本当にすごすぎる霊的修行だったと思います。

なんと、発光するRyoko先生!笑

この霊的修行のスピリチュアル的な意味を考えてみる前に、説明しなければならないことがあります。

実は、新たなイマが一瞬、一瞬、創造されているのがこの世の真実です。

宮沢賢治がこの世を交流電灯のようと言ったように…。

電灯は1秒間に60回点いたり消えたりしていますが(関東では1秒間に50回)、僕らの目にはずっと点いているように見えています。この世界も同じよ消えたり創造されたりを繰り返していますが、僕らの目にはずっとあるように見えているわけです。

そして、過去の記憶や色んな思いが重さとなって、似たようなイマを創造し続けてしまうので、過去→現在→未来という時の流れが存在しているかのように錯覚しているのです。

ならば、心の軽い人はあっという間に理想のイマを創造することは可能ってことになります。

手をゆっくり表にしたり裏返したりしてみてください。

不思議なことに前の映像が残らないでしょう(味も香りも音も同様です)。

これって当たり前だけど、よく考えるとすごく不思議なことなのです。

手を裏返した時、手が表立った時の映像は消えているのですから…。

ということは、刻々に前のイマが消えて新しいイマが創造されていることになるのです(もし過去の悲しみや後悔を引きずっているとしたら、そのようなイマを創造し続けていることになります)。

もっと詳しく言えば、映画のように心のフィルムに刻まれた映像が、現実という無色透明のスクリーンに刻々に映し出されているのです(無色透明でなければ、どんな映像もそのままに映し出すことはできません。禅宗の「見性(けんしょう)成仏(じょうぶつ)」の「見性」とは、この無色透明のスクリーンを見ることです)。

ということは、マイナスなイマをあれこれ変えようとすることは無駄な努力だったことになります(その奥にある心のフィルムの方に本当の原因があるからです)。

しかも、そのイマを認める(見止める)ことにもなりますから、変えたいイマをますます固定してしまうことにもなるわけです。

そうではなく、心のフィルムに刻まれたマイナス映像の方を消せばよかったのです。

オーロラみたいな美しい光に包まれる先生

臨死体験すると脳のリミッターが外れて、不思議なスペック(能力)を発揮する人は多いですが、Ryoko先生は数回どころじゃなく、現実とまったく変わらない夢の中で何千回も死に習ってきたのです。

おそらく、この霊的トレーニングが彼女を異次元レベルに進化させたのでしょう。

なんと、心のフィルムに刻まれたマイナス映像を消去する驚異的なスペック(能力)をRyoko先生は持っているのです…。

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